1625 アウトプットしたものを他人に見せることの大切さ

愛知教育大学鈴木健二先生へ、レポートを提出した。新しい道徳授業づくり研究会(SDK)が発行しているSDK通信からの学びや感想をレポート化したものである。


事務局の方を通して、鈴木先生から、私が送ったレポートに対して下記のようなコメントをいただいた。


(引用開始)


まだ感想文のレベルですが、彼の思いは伝わってきます。

しかし、レポートを書くとはどういうことか学んでいないのでしょうね。

レポートにするには、分析の視点を明確にして、読んだ人に新たな学びを提示することが必要です(主張を伝えるということ)。


(引用終了)


大学で様々な講義に関するレポートを作成・提出してきたが、このレベルらしい。


「レポートを書くとはどういうことかを学んでいないのでしょうね」厳しいコメントだが、このコメントをいただかなければ、レポートを書くとはどういうことかに対して考えることも意識的になることもなかったかもしれない。


それはつまり、自分勝手にレポートを書き続けるということである。書いている私はレポートだと思っていても、他人からすればそれはレポートではないということ。「レポートを書いているつもりになっている」状態に陥っていっているとも言えると思う。


今はまだ、「若いからね」と言われることもあるかもしれないが、30代になっても、40代になってもレポートを書いているつもりのままであったとすれば、恥ずかしいことだと思う。大学も出ているのに。


他人に読ませるレポート、他人に提案する授業には、新たな学び(主張)の提示が必要なのだということを学んだ。


私の感想レポートには、これがなかったということだろう。


今回の通信に対するレポートもそうだが、アウトプットしたものを他人に見せることの大切さを感じた。それは授業という形でアウトプットされたものでも同じだと思う。他人に見せることで、自分にはなかった視点を得ることができたり、学びが深まるのだと思う。どちらも他人の目を通さないと見つからないことである。


鈴木先生からこのようなコメントをいただけたことがありがたい。成長するきっかけ・自分が良い方に変わるかもしれないきっかけをいただけた。成長するか、自分が良い方向に変わるかはこれからの自分次第。