1796 強制される時間のありがたさ

学校に通っていた頃の大学生、高校生、中学生、小学生の頃は1日の時間割が決まっていて、決められた時間に決められた教科の学習をすることになっていました。


ある意味、強制的にその勉強をさせられている状態です。


今となっては、この強制される時間のありがたさを感じます。


時間の使い方が自分で決められる分、やらないといけないことを自分でいつやるのかを決めてやっていかなければいけません。


学校の授業時間は、強制される時間です。例えば月曜日の1時間目は数学の授業と決まっていれば、その時間は数学の勉強をすることになります。言い方を変えれば、数学の勉強をする時間が確保されているということです。


この時間は、内職でもしない限り、数学の勉強をすることになります。


当時は、〇〇の宿題が終わってないから、この時間が自習になればいいのに!と思っていたこともありました。


しかし、大人になって、時間の使い方が自由になった分、やらないといけないことばかりをやっていて、やりたい勉強がどんどん後回しになってしまっています。


TOEICの勉強をやる時間」「授業づくりについて学ぶ時間」といように強制されれば、やらないといけないことも、やりたい勉強も進むのでしょうが。