1779 「できる」ようになることを目指す

昨日の記事の最後に「できる」ようになりたいと書きました。本当に強く感じます。


大学3年生の頃、師匠と出会って、セミナーに参加して、全国の実践家の先生方から本当に多くのことを学びました。


大学の講義とは違う現場できて、具体的で、憧れのような感覚を持ってお話を聞いていました。1つ1つが目新しく、学ぶことの楽しさを知りました。純粋に楽しかったです。飲み会に出れば学生ということでチヤホヤもされていました。


その時の出会いから、今も私のことを知ってくださっている方は沢山いらっしゃいます。これは、大学生の時に行動した結果として良いことだと思います。


多くの先生方の書籍やセミナーでの講座のメモが、今悩んだ時にハッとさせてくれることがありますから、出会えたことに感謝です。


ただ、その頃と今とでは違います。講師としてですが、現場に立つようになりました。当時の「知っているだけ」がまだ許されていた頃と今は違います。


地元でのセミナーで何度か登壇した時、ふと、「何もできらようになっていない」ことを感じました。道徳の模擬授業を創っていた時だと思います。セミナー当日が近づくにつれて、焦りが出てきて、「こんなんじゃダメだ」と思っていながらも、どうしようもできず、絶対に批判されることを分かっていながらもその授業を提案するしかありませんでした。


その時から、「できる」ようにならないといけないと本気で思うよになりました。


学び方を変えました。それでも、今もできるようになっていることはそんなに多くありません。


今年、私の師匠のFacebookの記事を引用して、野中信行先生がブログを書かれていました。


その中に下記のような文がありました。


前後を引用すると長くなるので、ご興味がある方は「風にふかれて」を検索されてください。中学校社会科教師のタイトルがありますので、その記事です。


(引用開始)


具体的な授業を提案されている。そのための批判をするためには、代わりに具体的な授業を提案しなければならない。それが現場で生きるということである。


(引用終了)


現場で生きるということ、それは具体的な授業や指導が出来ること、人がやっていることを批判するなら、それ相応の代案を出せるようにならなければいけません。


野中先生のこの文章を読んだ時から、「できる」ようになることをさらに強く意識するようになりました。


大学を卒業してから4年経って教員採用試験に合格できました。在学期間の受験も含めると、5回目の試験での合格です。早い方かもしれません。しかし、遅いかもしれません。卒業後、ストレートで現場に出た同期もいます。卒業生を出した同期もいます。人よりも遅れていることに焦りを感じます。もちろん、その子達が持っていない強みも持っているつもりです。


ただ、人よりも遅れた分、初任として現場に出る1年目が初任のレベルの自分でありたくないと思っています。


焦って何もかもに手を出して、結局、中途半端にならないように気をつけつつも、1つでも「できる」ようになることを意識して、現場で生きれる教師になりたいと思います。


生意気な思いですが、教師歴ではなく、実践で語れる教師を目指します。


そういう気持ちで初任の1日目までの時間を過ごしていきたいと思います。