1889 指導略案指導

勤務校の教頭先生に明後日の授業指導用の指導略案をお送りしました。


30分後くらいに返信がきました。この学校の先生方が作成された指導略案が2つ添えられていて、「これを参考に修正されてみてはいかがですか?」というコメントがありました。


正直、どこをどう修正すべきだろうか?と思います。


私は私が勉強していることに基づいて書いたつもりです。もちろん、勉強している=できているではないので、完璧ではないでしょうが。


教頭先生へは明日、お時間があれば教えてくださいと返信しています。


知らないこと、できていないこと、不足していることを知れるいい機会です。学ぼうと思います。


1888 理解できないことに触れること

普段参加している全国サークルとは違う団体が主催している道徳の全国大会にzoomで参加しました。


全大会で大阪成蹊大学の服部敬一先生のご講演をお聞きした後、中学部会に参加しました。


服部先生は、ご自身の教職の実体験をもとに、現在の道徳科の課題を3点述べられていました。


中央教育審議会文部科学省、カリスマ実践者が言っていることでもきちんと自分の頭で一回考えて、自分の中に落とし込むことが大切であるというお話はとても納得しました。


また、道徳科の内容項目は授業だけで達成しなければいけないのではなく、道徳教育全体を通して達成すればいいというお話があり、新たな認識を得れました。


こういうことを知っていれば、授業に少し余裕が生まれます。無理な授業をしなくならないと思います。


初めてお話をお聞きしましたが、とてもわかりやすく、現場的でした。


中学校分科会では、同一の教材を使って3人の方が模擬授業をされ、桃﨑剛寿先生がコメントをされました。分科会参加者からも意見や批判が活発に出て私自身学ぶものが多かったです。


模擬授業をされたある方は、他のお二人とは違う視点で素材を教材化し、授業を提案されていました。


最初は教材そのものというよりも、手法が中心というような印象を受けました。正直、この方の提案が1番わからなかったです。しかし、分科会参加者の方とこの提案者の方のやりとりを聞いていて、面白い提案をされていたんだと思うようになりました。


自分の理解できないこと、わからないことに触れるのは面白いと思えました。そして、そういうものに触れると自分の世界が広がります。面白かったです。


いろいろな場で学ぶことが大切です。今回は純粋な意味での初めての場ではありませんでしたが、学びの場を絞らないことの価値を感じられました。

1887 一応、道徳科の授業完成と指導案を書きあげた

今日は昨日書いた略案とは違い、指導案を書きました。今日書いたのは、社会科ではなく道徳科の指導案です。

 

主題観・生徒の実態・教材観とちゃんと書いていきました。ただ、最初からパソコンで打ちはじめたのがダメでした。パソコンで打ちながら、書いていることが二転三転して、書きながら新しい言葉が自分の中に出てきて、同じことを書いてしまい、と、結局思考がまとまってなかったんだなと思います。

 

ちゃんと紙に整理したうえでパソコンで作成し始めるべきだと思いました。「思考を紙に落とす手間と時間」を惜しんではいけないなと感じました。少し遠回りのように感じますが、結局はそれをすることで思考の整理ができ、パソコン上での仕事を早め、指導案作成という仕事自他の効率を上げてくれます。

 

さて、昨日書いた指導略案と同じで、こちらもまずは授業づくりに時間とエネルギーをかけました。

 

以前に何度か書きましたが、私の現状では、与えられた教科書教材は難敵です。本当に「この教材をどうしたらいいんだ、、、」と頭を悩ませる教材でした。しかし、何とか授業と呼べる形にはできました。でも、自分で自分の授業の批判点が見えています。本当はこの授業ではダメなんです。でも、期限が決められています。

 

ドラマのようにそれに打ち込めば何かヒントを得られて、良いものが出来上がる。そんな展開はありません。

 

あぁ~~~~~~。と、思いつつも、少しでもいい授業に残りの時間でしていこうと思います。

1886 指導略案を書き上げる

来週の水曜日に授業参観があります。

 

参観者は近隣の中学校のA教頭先生です。時期的な忙しさとコロナウイルスの感染拡大の影響もあって、ZOOMをつないでの参観をしていただきます。他にも勤務校の校長先生やB教頭先生もご参観の予定です。

 

授業を創るときに、いつも略案的なものを書いています。A4紙の裏紙を横向きにして左側半分ににねらいと指導過程、右側半分に板書計画と学習プリントの作成レイアウトです。

 

これを1時間毎に書いていますから、略案をパソコンで作成するのはそんなに苦労はしませんでした。しかし、略案を書くための授業を創るのにはいつもより頭を使いました。

 

毎時間の授業づくりに同じエネルギーをかけるべきだと思っています。しかし、参観用の授業創りにはいつもより時間をかけました。ということは、普段の授業創りにはもう少し余裕があるんだと思います。そんなことを自分い対して感じました。

 

とはいうものの、研究授業や参観予定者のある授業はこうやって時間をかけてしまっているのが現実です。この現実に反省しながら、まぁでもそうなるよなと思っているのも正直なところです。

 

さて、略案と普段書いている授業計画案ですが、違いはやはり他人の目にさらされるか否かだと思います。略案を書くということは、それが1人以上の他人の目に触れるということですから、自分だけがわかればいいというものではありません。「相手に伝わる・相手がイメージできる」ように書かなければいけません。これが難しいところです。

 

しかし、何とか書き上げたので、月曜日に管理職の先生方に提出してチェックをしてもらい、A教頭先生にお送りしたいと思います。

 

現場にいる先生方にしてみれば、たかが略案でしょうが、普段書かないので、エネルギーを使いました。つかれた~。

1885 市立図書館へ

市立図書館へ行きました。目的は来週の火曜日に行う道徳科の授業の教材の中に出てくる能楽や伝統・文化の継承に関する本を見つけるためです。

 

能楽も伝統・文化も社会科の授業の中に出てくるので、全く知らないわけではありません。しかし、実際にはシテ方ワキ方など基礎的なこととされることすら知らないのが現状でした。

 

能楽を教えるわけではありません。内容項目「我が国の伝統と文化の尊重」を教えるための教材にたまたま能楽の話が使われていたのです。能楽を知らなければ、能楽を使っている教材で「我が国の伝統と文化の尊重」を教えることはできないでしょう。ですから、能楽の基礎研究をしているのです。

 

その中で、能楽に関わる人たちが、どんな思いで能楽の演目を演じているのか、どんな思いで日々の稽古を行っているのかを知れると、少しずつ授業のアイデアが浮かんでくることがあります。

 

昨日も書きましたが、本当に難題教材です。正直「これでどう授業を創れと…」というのが本音です。まぁしかし、何事も経験ですね。頑張ります。

 

ちなみに図書館の貸し出しカードの有効期限は2年前に切れており、更新が必要でした。そんなに利用していなかったとは。意外と来ていなかったんだなと思いました。図書館を歩き回っていると、本屋さんを歩き回るときと同じで、ついついあっちこっち歩いて、興味がわく本を見つけてしまいます。借りて帰るとそっちを読みだしてしまいそうなので、今回は我慢しました。

 

さて、授業づくりの動きを加速させます。

 

 

1884 指導案を2つ来週までに

社会科と道徳科の学習指導案を1つずつ来週の月曜日までに作成することになりました。

 

まず社会科ですが、来襲の水曜日に近隣校のA教頭先生がzoom越しに参観されることになりました。私の勤務校は小規模校なので、社会科の担当は私しかいません。来年度から正式採用になる私のために、勤務校の校長先生が、以前近隣の学校の社会科の先生の授業を参観できるように連絡を取ってくれました。その時に参観したのが、A教頭先生の授業です。公立高校入試前のため、直接来校しての参観は難しいとのことでしたが、zoom越しならばとのことで、お忙しい中、時間を割いてさんかんしてくださることになりました。大変ありがたいことです。このような事情で、社会科の学習指導案を来週の月曜日には近郊の管理職の先生に提出し、チェックを受けてA先生に送ることになるそうです。略案でいいと言われましたが、せっかくなので本気の学習指導案を書こうと思います。こちらは、そんなに心配はしていません。授業をする内容を決めれば、すぐにでも書けると思います。

 

次に道徳科の学習指導案ですが、4月から道徳科の授業をしたいと言い続けていたことが実現します。本当は2学期に実施予定だったのですが、実子予定日に工事か点検か何かが入ることになり、学校中がバタバタするのでということで延期になりました。このまま中止かなと思っていたところ、先日来週の火曜日に実施をしないかと声をかけていただいたので、ぜひお願いいしますと返事をしました。勤務校の管理職の先生と実践予定の学級の担任の先生が参観される予定です。こちらも本気の学習指導案を書きたいと思います。しかし、こちらはまだ書き始められません。そもそもの授業自体が出来上がっていないからです。教科書教材を使うことを求められていて、その教材をなんでもいいと言って、渡されたのですが、その教材(読み物教材)を読んで、なんでもいいと言ったことを後悔しました。内容項目は「我が国の伝統と文化の尊重、愛国心」の中の我が国の伝統と文化の尊重ですが、「この教材では‥‥」と、かなり頭を悩ましています。正直、使わず、別の教材を使用したほうがいいような教材ですが、これも修業だと思って何とか授業を創りたいと思います。こういう時に開発教材とセットにするという技を知っているだけで、だいぶ助かるなと思います。難敵ですが、こちらもある程度のレベルに仕上げられるようにしたいと思います。

 

やはり、他人が参観するところに学習指導案は欠かせないのかもしれませんね。文字で書いてある資料が手元にあれば、なぜその発問をしたか、どういう流れになっているか、授業者の考えや意図が分かります。しかし、授業の実際を見て、授業者の考えや意図を読み取れることも現場教師には必要な力だと思います。「この人はなんでこの発問をしたのだろう?」と考え、意図を見抜くのは面白いことだと思います。授業中に指導案ばかりを見て、子どもの反応の実際を見ない人もいます。子どもの反応を見ないで、何がわかるのか疑問にも思います。とはいえ、人は人。自分にはわからないだけで、そういう授業の見方もあるのかもしれません。

 

授業がしっかり創れたら、学習指導案作成にはそんなに時間はかからないというのが今の私の感覚です。

 

教育実習時に支障が言われていましたが、指導案よりも授業づくりに時間をかけるべきです。結局は、それが指導案をにつながるのです。

 

しかし、せっかくの機会ですから、今回は学習指導案作成に本気で取り組んでみたいと思います。

1883 円高はわかったみたいだけど、円安はわからなかったみたい

先週の公民の授業で円高と円安の説明をしました。理解するのが難しいかなと思っていましたが、説明してみると、意外とあっさりと理解してくれました。

 

理解するのが難しいと思っていたので、説明の仕方について、他の学習用語よりも時間をかけて考えたのが良かったのかもしれません。

 

さて、今日は、前時に理解した円高・円安のそれぞれの状態が日本の貿易にどのような影響を与えるのかについて学習していきました。

 

円高の状態は、企業にとってモノを輸入することに有利に働くということに関しては、私が特に解説をしていない状態でも、考えて判断できていました。大変すばらしいことだと思います。また、なぜ、輸入することに有利に働くかについても、外国からモノを購入する日本からすれば、同じ支払金額でより多くのもの、より高価なものを購入できるからということを答えられていました。このように、事象について、その理由も正確に考えられていたことに、心の中で「やるじゃん!」と、驚きつつも感動していました。

 

しかし、円安の状態では、企業にとってはモノを輸出することに有利に働くということについて、それがなぜなのかを説明することにとても苦労していました。円安が輸出に有利に働くということは、円高の逆ということからも判断で来たようです。しかし、それがなぜなのかを説明することに苦労していました。理由を尋ねたときに、漠然としている回答でした。日本からモノを買う外国の立場に立てば、円安の状態のときは、円高の時の日本と同じで、同じ支払金額でより高価なものや、より多くのものが買えます。これを理解するのに思ったよりも時間がかかってしましました。日本とは別の立場(外国の立場)から見るという多角的な視点での考察力に課題を感じました。

 

授業は、次回から国際政治・国際社会の内容に入ります。外国の立場で現代社会んぼ今を見る機会も増えますから、この内容の時に外国から世界の今を見る力を鍛えていきたいと思います。