1593 8万回

このブログへのアクセス回数が8万回を突破しました。


いつもお読みいただいている皆さん、ありがとうございます。


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大学3年生の時にブログを書き始めて、今は5年目。


書く内容がなくて、なかなか何もかけない日もあるけど、ほとんど毎日書いてきた。 


この間、大きな病気も怪我もなく書き続けられた。ありがたいことである。


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最近は書く内容を変えた。ある事実や学んだこと、その日に体験したことから「何を感じ、何を思い、何を考えたのか」を書くようにしている。


20代の自分はどんなことを考えていたのだろうかと後から見た時に振り返れるようにしている。


学んだことについても同じで、加えるなら、それをどう自分の中に取り入れていくかを書くようにしている。


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書くと頭の中が整理される。むしろ、整理するために書くということもある。


書こうと思って、ブログのホームを開くと、書くことがないなと思う日でも、何か思いついたり、今日はどんな日だったかなと思い出せる。


ぼんやり1日を過ごしているような日でも、やっぱりなにかを感じたり、思ったり、考えたりしてるんだなと実感する。


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このブログを読んでくれている方が、声をかけてくださる。


本当にありがたいことである。


毎日読んでくださっている方、定期的に読んでくださっている方、読んだことがある方、読み方や読む頻度はそれぞれ違っていても、1回でもご自分の時間を使って、読もうと思っていただけるだけでもありがたい。


この方たちの顔が思い浮かぶから、毎日書こうと思える。


そして、アクセス数が最近は100前後まで伸びる。これもありがたいこと。


ブログを書き始めた頃は30程度だったが、今では約3倍。


読んでくださっている方の殆どの方はお顔を見ることはできないけど、こうやって数字が読んでくださっている人がいることを教えてくれる。


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これからも可能な限り毎日書き続けます。


いつもお読みいただいているみなさんがいるので、書き続けられていると思います。


本当にありがとうございます。

そして、これからもよろしくお願いいたします。




1592 暖かい1日

昨日、一昨日の長崎市は雨。


今日は本当にきれいに晴れた。雨の日よりも晴れている日の方が気持ちがいい。雨が必要なのはわかっているけど、でもやっぱり晴れている方が気持ちもスッキリする。


雨が上がった後の晴れの日は空気中のゴミが雨で落とされていることもあり、空気がとてもきれいだなと感じる。


体内に取り込む空気もそうだし、同じ景色を見ていても、見るものがとてもクリアに見える。


今日はそんな気持ちいい1日だった。


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14:30ごろ、バイト先に向かうために20分ほど歩く。日向を歩いていたこともあったけど、歩くと少しだけ汗をかいた。それくらい、気温が上がっているんだなと感じる。


服装も結構薄着にしたんだけど、それでも汗がでるなんて、そこそこ気温が高くなっていたんだと思う。


でも、ポカポカして気持ちいいなとも感じた。


何もない日だったらのんびりしていると気持ちいいだろうなと思う。まぁ、最近は何もしてないと、何かすることを探してしまうんだけど。


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まだ桜は見てないけど、春を感じた1日だった。

1591 令和二年度が始まる

4月1日。塾のアルバイト先では入社式があり、新しい社員さんがWEBで入社式に参加されていた。


コロナウイルスの影響でこのような形になったらしい。まぁ、入社式でクラスターなんてなったら話にならないしね。


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先輩の講師と話す。今日はエイプリールフールだねという話をしながら、4月1日生まれの人は実は学年が3月31日に生まれた人と同じになるという話を聞く。


エイプリールフールの話をしていたけど、声の調子や話し方から嘘ではないと思い、そうなんだと初めて知った。


じゃあ、今日生まれた子までは昨日生まれた子どもと同じ学年になるのかと思う。これは結構不思議な感覚。4/1〜3/31に生まれた子がその学年になると思っていたから、ちょっとびっくり。


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サークルの先生方もLINEグループで新しい公務分掌などを報告し合われていた。


始まだたんだなと思う。


コロナウイルスの影響で、先行き自体は明るくないような気がするけど、やっぱり始まりはちょっとこれからに期待してしまう。


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自分ももう少ししたら講師が始まる。不安もあるけど、その不安も含めてこれからが楽しみだなと思っている。


いよいよだな。






1590 「1週間のシナリオ」をいただく

野中信行先生に「令和二年度版 1週間のシナリオ」をいただき、読み進めている。


お互いに1回のやりとりのメールだったが、野中先生の文面を見ると、自分のことを覚えてくれているのだろうなと思える。


前回も前々回も1週間のシナリオをいただいた。そのときにも少しだけやりとりはしたが、まさか覚えてかれているとは。


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①読み進める。線を引きながら、書き込みをしながら。まずは素直に感じたことや思ったことをどんどん書き込んでいく。


②次はそれをノートに書き出しながら、さらに思考をまとめる。


③そのあと、ノートを見ながら何をするか、どう取り入れるかを自分なりに考える。


③が大切。まだ学級を持ったことはないし、今年ももつ予定ではないけど、自分なりに想像をしてこうする、ああするというのを考える。検討はずれでもいいから、とにかく考える。考えれば何か出る。逆にいうと、何か出るまで考え続けなければいけない。


そして、それを他人に見てもらう。現場に出たときには、実践に移す。


人の目や実践を通すことが大切。特に人の目を通すこと。


自分とは違う感性の人が見たときにどう感じるのか。そこはとても知りたいところ。


自分の目でしか見ていなかったら、まずい部分や改善点があってもなかなか気づかない。


だから他人の目を通すことは大切。


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まだ、全部読めていないけど、少しずつでも読んでいきたいと思う。


そして、必ずレポート化して野中先生にお送りする。そう決めている。


いただいたもので、自分が何を感じ、考えたのか。実践をどう変えようと思ったのか。そこをきちんとまとめる。


いただくだけではダメ。これは学びの礼儀。


こういうことを教えてくれる師匠がいる。

1589 成長するために必要な時間がある

1日中、塾のアルバイト。


アルバイト先で昼食をとってから、少し休憩を取ろうとして、スマホFacebookInstagram、Yahooニュースなどをざーと見ていると、どれも志村けんさんがコロナウイルスで亡くなったという記事でいっぱいだった。


衝撃と同時に、本当なんだろうかと信じられない気持ちになった。ドリフターズの時代は生まれていない(と思う)から、よくわからないけど、バカ殿さまなど、いろんな番組で見て、何度も笑わせてもらっていた。


今まで、当たり前のようにテレビで見ていた人が急にいなくなる。変な気持ちになる。


そういえば、ばあちゃんが亡くなってから2ヶ月が経った。本当に亡くなったんだなと思いつつ、今でも変な気持ちになる。どこかにいるような気がする。もちろん、いるわけないのだけど。でも、探したらどこかにいそうな気がする。だから変な気持ち。


志村けんさんだけでなく、このコロナウイルスで亡くなった人たちに哀悼の意を捧げたい。


誰が悪いわけでもない。


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さて、塾で昨日の記事に書いたAIを使った自習監督のようなものの担当をした。


なかなか面白いなと思うのが、同じツールでも、講師用のツールがあって、それを使うと生徒が講義動画をきちんと観ているかや、間違えた問題の解説をきちんと読んでいるのかをAIが判断して教えてくれる。学習姿勢が良くない生徒には、声をかけてくださいとAIが判断してくれる。そこまでできるツールである。


まぁ、一応、声をかけないといけないことになっているけど、それは生徒の隣に行ってみて、少し学習の様子を観察してから判断している。 


ただ、何度も同じ問題で不正解で、その分野の問題を何度も解いているのに、講義動画もきちんと見ず、解説も読んでないとなると流石に声をかける。


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うまく使えば、生徒の土台を築いてくれる優れたツールである。


しかし、生徒の心理的に、早く目標を達成したいとなると、本来の機能を果たさないことがある。


例えば、問題の答えを暗記していって、同じ問題が出たときに、考えて答えるのではなく覚えた答えを回答するという場合である。


もちろんこれでは伸びないし、土台も作れない。


たぶん、早く目標を達成したいときにこのようなことをするのではないかなと思う。


進めればいいと思っているわけではないと思う。だけど、進みたいという気持ちが強かなり過ぎたとき、とにかく先に行きたいと思うときには、このパターンになるのではないかと思う。


できないことができるようになるためには、また、その人が成長するためには、それなりに時間がかかる。


この時間に対して、きちんと価値をみいだせなければならない。成長するための時間をぐっと堪えて大切にしないといけない。


これをどうしたら生徒に理解させられるか。考えたが、うまい案が思いつかず、結局ずっと見ていて、きちんとノートに書こうねなどのアドバイスしかできなかった。


成長するためにはそれなりの時間がかかる。そして、かけなければいけない時間がある。その時間に価値を見出すこと。その時間の価値を理解すること。


それがわかっていれば、きっと伸びる。ツールも本来の役割を果たせると思う。


この時間を監督する講師の働きかけは思ったよりも大切だなと思う。ツールしっかりと機能させるために監督する講師の役割は大きい。

1588 AIを使った勉強

アルバイト先の塾でAIを使ったカリキュラムが始まった。


試しにやってみる。ちょっと試しにのつもりが、2日間まるまるこれにはまる。


面白いというよりも、設定した短期目標を早く達成率100%にしたいという気持ちになって、夢中でやっていた。


面白いとか、楽しいとかではなく、夢中でやっていたというのがやった時の実際の自分だった。


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仕組みは、例えば高校数学の因数分解をAIが出題したとする。


仮に、この問題を解けなければ、その原因がどこにあるのかを小学校の算数まで遡って見つけてくれるというものである。


この仕組み自体がすごいと思う。これだけで、とても魅力的なツールである。


実際に使っている中学生や高校生にも大評判である。中には、小学生の問題まで戻された子もいた。でも、その子は前向きにその事実を捉えコツコツと頑張っていた。


たぶん、全員が全員ではないのだろうけど、伸びると思う。


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できなかっだ問題や分野の解説動画もあるが、この動画でカバーできない、わからない問題の解説は人間の先生たちが教えてくれる。この両方を組み合わせて、基礎をしっかりと築きつつ、応用力をつけていこうというものである。


応用問題と呼ばれる問題を解くための基礎を築くのがこのツールの役割であり、なぜ土台が崩れているのかな原因を発見してくれるのが、このツールである。


しかし、どんなに良いツールでも、人が教えることが必要になってくる。そういう意味で、生身の先生の存在が必要なくなるわけではないと思う。


AIが築いた土台の上に、どれだけ高い積み木を積み上げられるかは人間の先生にかかっている。AIと人間のそれぞれが良いところを発揮できる、いいシステムになっていると思う。


なんだか、宣伝みたいになってしまった(笑)


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このツールの説明動画を見たときになるほどと思ったこと。


テストで80点や90点が取れれば満足する子は多い。教師や保護者でさえも、完全とまではいかずともある程度の満足できる特点だと思う。だけど、得点できなかった、10点分、20点分の積み木は崩れている。この崩れているものを修復せずに、その上に積み木を積み上げる。すぐには積み木は崩れなくても、10点や20点分の積み木が崩れたまま、その上にどんどん積み木を重ねていくと、いつか崩れる。最初の10点や20点分の積み木が崩れているのだから、その上に高い積み木を重ねると、いつかは持たなくなってしまうということ。


これは納得できた説明。100点を取れること、取れなかった点数分は必ず復習を行うこと。この大切さを理解した。


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いつかは、学校現場にもAIが導入されるのだろう。


使えるものは使おう。しかし、流行ものに流されず、不易の部分を大切にしたい。


そうすれば、どんな流行にも流されず、大切なことを見失わないような気がする。

1587 どう自分の中に取り入れるのかを考える

師匠がある教育冊子を読まれて、そのことについてブログで数日前に下記のように書かれていた。


(引用開始)

教育雑誌を読むときは,読みながら心が動いた部分にマーカーを入れます。

その後,マーカーを入れた部分を整理しながらノートに書きだしていきます。

こうすることで,思考が整理されます。

自分の実践と比較しながら,どう取り入れるかを考えます。

(引用終了)


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読み方をしれたことが大きい。「あぁ、こうやって読むんだ」と思った。


①心が動いた部分にマーカーを入れながら読む

②①を整理しながら書き出す

③自分の実践にどう取り入れるかを考える


特に③の大切さを感じる。これをやるかやらないかで、「知っただけ」になるか、「実践に活かせるようになる(できるようになる・自分が伸びる)」かが変わるんだと思う。分かれ道のような気がする。


できるようにならなければ意味がない。そうしないと、本を読んだ意味がないと思う。雑誌を読んだ意味がないと思う。


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自分を変えたいと思う。もっと成長したいと思う。そのためには、いろんなことを知らなければいけないと思う。でも、知るだけではダメ。それでは研究者とか外から見ている人で終わるような気がする。


自分は、授業や指導を実際にする現場の教師なのだから、やはり、できるようにならなければいけない。どうしたらできるようになるのか、学んだことをどうすれば自分の中に取り入れられるのか、それを考えないといけないと思う。


それは、生徒に向き合う現場の教師の務めだと思うし、ここを考えることにこそ楽しみとか面白さがあるのだと思う。


自分とは考え方が違う人が、自分が目の前にしているこどもとは別の子ども相手に考えた実践なのだから、それを丸々真似してもうまくいくわけはない。


だからこそ、自分は、自分の目の前の子どもたちはと考えなければいけない。


今の自分では時間がかかるけど、これをしなくては何もできるようにならないし、成長もしないんだと思う。


生徒の目の前に立つのだから、どんなに素晴らしいやり方や実践例を話せるよりも、できてなんぼだと思う。それが、現場で働く人間だと思う。


できるようにならなければ、学んでいないのと一緒。


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本の読み方や学び方を変えないといけないなと思う最近。師匠のブログ記事に触れて、こんなことを思った。