2362 道徳改革セミナーin熊本2024

道徳改革セミナーin熊本2024に参加した。毎年、1年の始まりはここからである。このセミナーから新年が始まる。初めて参加したのは8年前。2016年だった。その時は、まだ大学生だった。

 

今日は、模擬授業をさせていただいた。テーマは「いじめ防止」。スポットを当てたのは「いじめの空気」。

 

「いじめを生み出す空気」も「いじめを生まない空気」も一人一人の言葉と行動から生まれることを2枚の教室の場面絵とグループ活動を通して感じ取らせ、いじめを生まない空気をつくる発言と行動を心がけさせることをねらった授業を創った。

 

空気という視点からの授業であることと、空気を感じ取らせるグループ活動、そこから何が空気を創り出すのか要素を抽出する問いかけ、これらは提案性があったと思う。

 

ただ、グループ活動で「この絵と同じ空気をグループの中でつくってください」という指示は、伝わらなかった。模擬授業をする前も、引っかかるならここだよなと思っていたので、参加者の反応と、自分の予想は一致した。やっぱりなと思った。「ん?」「え?」というふうに会場に戸惑いの空気が流れたことも感じた。

 

その戸惑いの空気が流れたグループ活動について、講評してくださった鈴木健二先生から「場面絵の中のここというふうに限定するとやりやすかった」とアドバイスをいただいた。限定という考え方はなかったから、勉強になった。

 

懇親会では、佐藤幸司先生や同じ卓だった先生からグループワークは順番を逆にした方がいいというアドバイスをいただいた。1つ順番をいれかえるだけでも変わる。このようなことが本当に勉強になる。

 

教材の1つ松竹景虎さんの作文「空気」については慎重論があった。この作文を用いることに対してもだと思うし、景虎さんがいじめを理由に自殺したという事実を提示することに対しての慎重論だとも思った。確かに、どう提示するか悩んだ。作文は全文提示しないと失礼じゃないかとか、本人や御家族がこの提示の仕方を見たときにどう感じられるか。でも、自分の中での最終的な結論は、命をかけて訴えたことは伝えるべきだというものだった。いじめによる自殺。「死」による恐ろしさを生徒に感じさせたいということもあった。取り返しがつかなくなってからでは遅いというある意味の警告。恐ろしさは心に残る。だから、言葉や行動がかわるのではないかというような考えだった。今回ばかりは、暗く、重く終わらせるべきだとも思った。だから、作文を教材として提示したし、自殺した事実も提示した。ただ、慎重論を聞く中で、それに納得もできた。この教材を用いるか、用いるならばどう扱うかは、まだまだ検討が必要かな。

 

今回の自分の授業は、完成度は高くなかったが、色々と挑戦と提案ができたのではないかと思う。ある程度の完成度は絶対に必要。しかし、完成度だけでは、周りにいる中堅・ベテランの先生には及ばない。ここでは勝負できない。勝負しても埋もれてしまう。だから、粗いんだけど、着眼点は良い。改善の余地はあるけれど、視点は面白い。そういう授業を提案したい。あと数年はそれが許されると思う。許されるうちにどんどんやっておきたい。

 

授業創りの技術を身に付けつつ、独自性のある視点・感性みたいなものを授業を通して表現出来たら面白いんじゃないかと思う。