塾のアルバイトで社会科の集団指導を担当しています。
3クラスに分かれての指導ですが、私が「何で?」とか「どうして?」という発問を授業時間中にすると、生徒たちは一生懸命考えてくれます。
指導する内容はすでに学校で学んでいることですから、それをただ説明するだけでは刺激がなく、つまらない時間になってしまいます。
わかりやすい説明をすると、前を向いてしっかりと聞いてくれますが、それでもすでに知っていることの説明が長く続くと、飽きのサインが生徒から出てきます。
なるべくそういう時間をなくすために、上に書いたような「何で?」とか「どうして?」という発問をします。
すると、みんな本当に一生懸命に考えてくれて、指名したと時にしっかりと自分の答えを言ってくれます。
この時間が1番楽しそうです。本当はノートに書かせてから発言をした方がうまく答えられるのでしょうが、時間的な余裕がなくて発問してすぐに指名をしなければなりません。ここがちょっと残念なところです。
そういうわけもあってか、頑張って答えようとしてはくれてますが、「うまく言えません」と言う生徒もいます。
でも、この感覚って大切なんじゃないのかなと思います。言いたいことが頭の中にあって、それを相手に伝えたいんだけど、うまく伝わらないというような感じなのでしょう。
でも、それは全くわからない状態ではないので、きっと文字化させると相手にうまく伝わる言葉になるはずです。
こうやっていろんなことを考えながら、社会の中の何で?を感じられる授業が学校でもできたら、きっと、社会科の時間を嫌いだという生徒にとっても魅力的な時間になるのではないのかなと思います。
そして、社会科は暗記科目だという認識も変えられるのではないのかなと思います。
グローバル化、不可視化、複雑化する社会を生きていくなかで、暗記することを目的とした学習がどれほど役に立つのでしょうか。
これはどの教科でもそうですが、ほとんど役に立たないと思います。
自分も学ばないといけないことが多くあります。生徒の反応や質問からそんなことを感じることが多いです。