569 「何を語るか」ではなく「誰が語るか」

大学生時代の中学校研修の時にY先生から、そして、一昨日のサークルの帰りにM先生との会話の中から、学んだことを書きます。


その学んだことが、今日のタイトルの「何を語るか」ではなく「誰が語るか」です。


教師は授業、学級活動、集会など、様々な場で生徒の前に立って話をする機会があります。


前に立った教師が、どんなにいい話をしても、どんなに素晴らしい内容の話をしても、生徒が話を聞いてくれないということが起こります。聞いているように見えても、実は心には届いていないということがあります。だから、生徒に変容が見られないのです。


どんなに面白い内容、どんなに話術があってもです。


何故でしょうか?


その答えが、「何を語るか」ではなく「誰が語るか」なのです。


つまり、ある先生が前に立った時に、生徒が「この先生の話だから聞こう」と思うかどうかなのです。


生徒にこのように思われるためには、生徒に人として、尊敬される教師でないといけないそうです。


もちろん、4月の出会ったばかりの頃は、信頼関係や、尊敬される存在であることなんてないと思います。ですから、この時は話の内容や、話術で勝負をしないといけないのでしょうが、出会った瞬間から、なるべく早めに信頼関係を築き、尊敬される人にならないといけということだと思いました。


また、話をするその時、その時ではなく、日常の一日一日の生徒との関わり方が大事なんだろうなということを考えました。