570 何をするにも、しないのにもその人の理由がある

大学生の時に中学校現場を研修生として定期的に訪れる活動に参加していました。


そこで出会ったY先生は、とても熱心に私を指導してくださいました。


そのおかげで、2年生までの2年間と、3年生からの2年間の、私の生活などは、大きく変わりました。


たくさんのことを教えていただき、その一つ一つを知ることが楽しかったです。この研修に参加するたびに新しいことを知ることができ、その延長として、様々な教育書を読んだり、全国で開かれるセミナーにも参加しました。


そこ知ったことや学んだことも素晴らしいことばかりでした。大学では教えてもらえないことを知るたびに楽しかったです。


そして、知ったことを同じ教職のコースにいる仲間にも教えていました。佐世保の近くで開かれるセミナーの情報を教えたり、学んだことを話したりと、いろんなことをしていました。


しかし、気づいてみれば、ほとんどが一方通行になっていました。今、考えると、求められていなかったのかも知れません。


やっとそのことに気づいたのが、大学を卒業する少し前の時でした。


振り返ってみれば、一生懸命だけど、やりすぎだったと思います。仲間と同じ温度での情報の発信や学びのシェアができていなかったのかも知れません。


何をするにも、しないにも、その人の理由があります。私が、自分の時間とお金をかけて、県外に学びに行ったのにも理由があるように、学びたいとは思っているけれど、その分野でないとか、入っている部活などが忙しいとか、今はまだ、いいかなと思っているとか、その人にはその人の理由があると思うのです。


その、それぞれの理由を無視して、自分の理由で、物事を語っていたなと思います。


大いに反省しました。それから、自分からはそれまでのように学んでいることを口に出さないようにしました。


むしろ、仲間の話に耳を傾けています。機会があれば、学んだことを生かして意見を述べたり、文章を書いたりする。それくらいにとどめています。


そうすると、相手から、なんでそんなこと知っているの?とか、どうやって知ったの?とか聞かれるようになりました。


その時には、少しだけ答えるようにしています。そこで、さらに突っ込んできたら、こんな本を読んでいるとか、こんなセミナーに参加しているとかいう話をするようにしました。


それが今の自分です。学んだこと、学んでいることを口に出しすぎて失敗をしてきたと思っています。だけど、今は、その失敗から学べたと思っています。


少しだけ、成長を感じられている最近です。