575 小さな後回しの積み重ね

最近は、採用試験の勉強を第一に優先する生活になっています。


しかし、勉強以外にも、やらなければいけないことはたくさんあります。それは、どんなに小さなことでもです。


例えば、部屋のゴミ箱のゴミをゴミ出し用の袋に移すだとか、部屋の掃除をするだとか、使わない教材を本棚にしまうだとか、どれもすぐに終わることです。


しかし、すぐに終わるが故に、「あとででもいいや」と思ってしまいます。また、それほど気になることではないがために、「明日でもいっか」と思ってしまいます。


最初は、小さなこと1つの後回しですが、それを繰り返していくうちに、1つが2つ、2つが3つとどんどん増えていきます。そして、気づいたら、全部を処理するのに、まとまった時間が必要になっています。


1つ1つをその都度、処理していれば、1日5分ぐらいで終わり、さらに、疲労もそこまでたまることはないのでしょうが、最近は、その5分を確保していません。


勉強優先と理由をつけて、「あとででいっか」「明日でいっか」を繰り返しています。


小さなことも後回しにして積み重なれば山となります。


少しの時間と少しの労力で処理できるうちに、その都度その都度処理することが大切だと今まで何度も実感してきたのですが、わかっていないのでしょう。


教師になるまでに、この小さな後回しの積み重ねをしないような習慣をつけれるようにしたいです。

574 あれから1年

ちょうど1年前の今日から、22日間の教育実習がスタートしました。


その実習初日のブログ(記事番号 209)でこんなことを書いていました。


(始まり)

この22日間ではできないことの方が圧倒的に多いはずです。しかし、できることを必死でやります。

(終わり)


実習校は、大学3年生の時に1年間お世話になっていた研修先の中学校でしたが、研修と実習は違います。振り返ってみると、実習の時は、1日1日を過ごすのに必死だったなと思います。


当たり前ですが、圧倒的にできないことが多いということは本当でした。しかし、実習をしてみて、はじめて学んだことも多くありました。


今年は、1つ年下の後輩たちが実習を行うようです。ぜひ、頑張ってほしいと思います。そして、多くのことを学んでほしいなと思います。

573 第13回佐世保教師塾

今日は月に一度開催されている佐世保教師塾へ参加してきました。


専門学校の講義終わりで1番早いバスに乗り、佐世保へ向かい、なんとか開始時刻に間に合いました。


さて、今日はY先生が2時間道徳についてのお話をされ、実際に道徳の授業も行なわれました。今日の主な内容は「命」に関することです。


今日の学びです。


・なぜ、命は尊いのか?に対する、野口芳宏先生のお考え。

・資料の見せ方(道徳の授業実践の中で)

・死は慎重に扱うべきである。

・先行実践を自分がパクる時に注意する2つのこと。

・わかっていることをわざわざ聞かない(発問しない)。

・教師はプライドが高い。先行実践をした人にその授業のことを聞きに行けばいい。

・一生懸命考えた子の意見が出てくる授業をする。

・「議論させる道徳」ではなく「交流させる道徳」

・道徳の授業は、考えたことを発言できる雰囲気をつくることが大切。そのためには笑いも必要。

・指導案ではなく、指導技術を学べ。

・先行実践を徹底的にパクる。

・指導技術は、教育者などで学び、実践を通し、目の前の子どもたちにあったら、深めていくことで身につく。

・生きていることを前面に出す道徳授業で命の大切さを教える。


6月24日のセミナーで命を扱う道徳の模擬授業を行おうと思っていましたので、今日の教師塾はとても勉強になりました。


今日も多くのことを学べました。1つ1つについては、また明日以降書きます。

572 子どもを観る目

専門学校の友達と話をしていて、どうやったら子ども理解ができるのか?子どものどんなことを見ればいいのか?という話になりました。

このことは大学ではあまり教えてもらっていません。

しかし、現場で勤務をする中では、大切なことだと考えています。

子どもの動きが見えているか見えていないかで、子どもたちへかける言葉が変わってくると思っているからです。

同じような疑問は大学生の時にも、友達と話題になりました。

教師になる前の人間にとって、子どもを観る目を持つことが大切なのはわかりますが、具体的にはどうしたらいいのでしょうか?

現役の先生方はどのように子どもたちを観ているのでしょうか?

少し調べてみたいと思います。

これを次のサークルのレポートのテーマにしようと思います。

571 予期せぬ質問に対応するために

今日は専門学校で、面接指導がありました。


質問項目がいくつか書かれたプリントに書いた答えをもとに、講師の先生が質問をされました。


今回は、本番で予期せぬ質問をされた時に対応できる力をつけるため、講師の先生がプリントにはない質問をされました。


予期せぬ質問をの答えを導くために必要なのは、その人の中にある「考え」だと思います。


この「考え」とは、教育哲学や教育観のような難しいものではありません。


自分はどんな教師になりたいのか、自分は教師として子どもたちとどう接したいのか、自分は子どもたちにどんな大人になって欲しいのか。このようなことです。


これらに対して、明確な答えを持っていると、それをもとに、ある程度の質問になら答えることができると思います。


大切なのは、1つ1つの具体的事例に対応できる方法ではなく、10個の事例に対応できる「考え」をもつことだと思いました。


「考え」を持っていれば、予期せぬ質問を出されても、余裕がうまれ、ある程度は対応できると思います。そのある程度から、どれだけ点数を積み上げられるかは、日々の思考の鍛錬と本番での頭の働きによるのだと思います。


570 何をするにも、しないのにもその人の理由がある

大学生の時に中学校現場を研修生として定期的に訪れる活動に参加していました。


そこで出会ったY先生は、とても熱心に私を指導してくださいました。


そのおかげで、2年生までの2年間と、3年生からの2年間の、私の生活などは、大きく変わりました。


たくさんのことを教えていただき、その一つ一つを知ることが楽しかったです。この研修に参加するたびに新しいことを知ることができ、その延長として、様々な教育書を読んだり、全国で開かれるセミナーにも参加しました。


そこ知ったことや学んだことも素晴らしいことばかりでした。大学では教えてもらえないことを知るたびに楽しかったです。


そして、知ったことを同じ教職のコースにいる仲間にも教えていました。佐世保の近くで開かれるセミナーの情報を教えたり、学んだことを話したりと、いろんなことをしていました。


しかし、気づいてみれば、ほとんどが一方通行になっていました。今、考えると、求められていなかったのかも知れません。


やっとそのことに気づいたのが、大学を卒業する少し前の時でした。


振り返ってみれば、一生懸命だけど、やりすぎだったと思います。仲間と同じ温度での情報の発信や学びのシェアができていなかったのかも知れません。


何をするにも、しないにも、その人の理由があります。私が、自分の時間とお金をかけて、県外に学びに行ったのにも理由があるように、学びたいとは思っているけれど、その分野でないとか、入っている部活などが忙しいとか、今はまだ、いいかなと思っているとか、その人にはその人の理由があると思うのです。


その、それぞれの理由を無視して、自分の理由で、物事を語っていたなと思います。


大いに反省しました。それから、自分からはそれまでのように学んでいることを口に出さないようにしました。


むしろ、仲間の話に耳を傾けています。機会があれば、学んだことを生かして意見を述べたり、文章を書いたりする。それくらいにとどめています。


そうすると、相手から、なんでそんなこと知っているの?とか、どうやって知ったの?とか聞かれるようになりました。


その時には、少しだけ答えるようにしています。そこで、さらに突っ込んできたら、こんな本を読んでいるとか、こんなセミナーに参加しているとかいう話をするようにしました。


それが今の自分です。学んだこと、学んでいることを口に出しすぎて失敗をしてきたと思っています。だけど、今は、その失敗から学べたと思っています。


少しだけ、成長を感じられている最近です。

569 「何を語るか」ではなく「誰が語るか」

大学生時代の中学校研修の時にY先生から、そして、一昨日のサークルの帰りにM先生との会話の中から、学んだことを書きます。


その学んだことが、今日のタイトルの「何を語るか」ではなく「誰が語るか」です。


教師は授業、学級活動、集会など、様々な場で生徒の前に立って話をする機会があります。


前に立った教師が、どんなにいい話をしても、どんなに素晴らしい内容の話をしても、生徒が話を聞いてくれないということが起こります。聞いているように見えても、実は心には届いていないということがあります。だから、生徒に変容が見られないのです。


どんなに面白い内容、どんなに話術があってもです。


何故でしょうか?


その答えが、「何を語るか」ではなく「誰が語るか」なのです。


つまり、ある先生が前に立った時に、生徒が「この先生の話だから聞こう」と思うかどうかなのです。


生徒にこのように思われるためには、生徒に人として、尊敬される教師でないといけないそうです。


もちろん、4月の出会ったばかりの頃は、信頼関係や、尊敬される存在であることなんてないと思います。ですから、この時は話の内容や、話術で勝負をしないといけないのでしょうが、出会った瞬間から、なるべく早めに信頼関係を築き、尊敬される人にならないといけということだと思いました。


また、話をするその時、その時ではなく、日常の一日一日の生徒との関わり方が大事なんだろうなということを考えました。