732 2週間後に模試

11月19日日曜日に、来年の教員採用試験に向けた、模試を受けることにした。


内容は、教職教養と一般教養。目標は100点にした。


目標は100点にしているけれど、こうすることで、自分に100点を取るための具体的な努力をさせることが狙い。


最近、1週間単位で1日にする勉強量や範囲を決めているんだけど、ぜんぜんできていない。気分によってやるかやらないかが左右されている。2回試験に落ちているのに、結構余裕だな自分って感じている。そういう自分をわかっていても机に向かえない自分が嫌になったりする。


こんな自分だから、目標を90点とかにすると、10点分の努力をサボりそうな気がする。それって、今はいいかもしれないけど、来年の教員採用試験直前になって、あの時しとけば…って後悔しそう。


そういえば、今日、塾で教えた子達は今週末が学校の期末試験らしい。来週、塾に来た時に解く小テストに「期末試験はどうでしたか?良く感じても、悪く感じても入試までの通過点です。復習をしっかりして、次に向けて頑張ろう!」というようなコメントを書いた。


自分にも言える。模試は来年の教員採用試験までの通過点。終わったら復習をしてまた次に向けて頑張るだけ。とりあえず、まだ模試は終わってないから自分は模試100点を目指して勉強を頑張ろうと思う。

731 パクる

読んだ本の読破記事を書く時にいつも思うことだけど、書けない。


何も感じなかったわかではないし、何も学ばなかったわけではない。しかし、感じたことや学んだことをうまく書けない。


他の先生方がブログの中で読破記事を書かれる時は、本当に読みやすい。なんでこんなに読みやすく書けるのだろうと思っていた。


そこで、先日読破した38冊目から、私以外の人で、同じ本を読破した人の感想文をパクっている。パクっているというよりも、参考にして書くことにしたと言った方がいいかな。


他の方の感想を読んでいると、私が言葉にしたかったことを綺麗にまとめてくれているものがある。


その感想文を参考にさせてもらうことにした。


誰かがやっていることを真似すると、すぐにパクリと言われていた小学生時代。パクるのは良くないことだと思っていた。反対に、大学生になると、オリジナリティを出したがっていた。なのに、最近はパクるのは悪いことではないと思っている。


いつか、オリジナリティが出ればそれでいいと思っている。


730 2年

ブログを書き始めて今日で2年間が経った。


正直、ここまで続くとは思わなかった。毎日書いてきたと言っても、時には、飲み会や夜遅くまで何かがあって、きちんとした記事をかけていない時もあったが、なにかしらは書いてきた。


毎日書いていると、ネタがない日も結構あって、今日は何を書こうかなと思う日もある。そういう時に、研修ノートを見直したり、1日をよく振り返ると、意外とまとまった記事が書けたりすることもあった。


毎日記事を書いてきたけれど、特に文章力や表現力が上がったとは実感できていない。過去の記事をたまに読み返して、めちゃくちゃな文章だなと思ったりすることもある。


たまにだけど、きれいにまとまった文章が書けた時は少し嬉しい。紙に下書きをしてからブログを書いた時や、昼頃一度書たものを夜に読んでから公開したりすることもある。でも、毎日こういうことができるわけではない。ただ、そういう時はまだマシな文章かなと思ったりする。


伝えることは難しい。表現することは難しい。それがこのブログを書き続けてきた最近思うことかな。


言葉を知らないし、表現を知らないし、まとめる力もない。だからかなと思ったりもしている。それな加えて、先日読破した梅田さんの本の中にあった「内なる言葉」をうまく「外に向かう言葉」に変えられていないだからだと思う。


まぁ、少しずつでも「内なる言葉」をまとめて、読みやすい文章を書いていけたらいいと思ってる。


こんな感じで、明日から3年目に入る。

729 九道研ー公開授業を参加してー

昨日参加した九州地区道徳教育研究大会についてまとめていこうと思う。


公開授業は、中学2年生の『愛すべきうそ(自作)』を参観した。


生徒が資料から目を離さなかったこと、発問に対する自分の答えをしっかりかけていたことが印象的だった。周りには参観者の先生方が何列にもなって教室の内外から参観していたが、その中でも、授業に集中していることがすごいと思った。


授業後の授業研究会では、授業をされた先生の次のような言葉が頭に残った。正確ではないが、概ね内容はあっていると思う。


(始まり)

私は、道徳はこれまで嫌々やってきていた。毎週、どう乗り過ごそうかと考えていた。本当はやりたくないとも思っていた。だけど、周りの先生が支援してくださったり、自分自身もやっていく中で、少しずつ楽しいとか面白いとか思えるようになった。

(終わり)


こう思って、九道研を終えられるなんて、いいなぁと思う。自分は、中学生の頃、道徳の時間が嫌だった。資料は何を使っていたか覚えていないけど、自分が書いたこと、考えたことを発表しないといけないのが嫌だった。だから、嫌いだったった。でも、Y先生と出会って、道徳についての見方とか感じ方が変わって、同じかはわからないけど、自分も楽しいとか面白いとか思えるようになった。


お若い先生だったけれど、いつか自分も同じように公開授業をできるだけの実力をつけたいなと改めて思った。


授業研究会の中では、参観された先生方から様々な質問が出た。


その中に、エンカウンターとかオープンエンドとか横文字が出てきた。どれも知ってはいるんだけど、道徳とこれらが一緒になって出てくると、まだうまく繋がらない。ここら辺は、勉強していないからというだけだけど、今はまだいいかなって思う。まだまだこういう手法よりも基本的なところを固めていかないといけないような気がしている。


参観者からの質問や、それに対する授業者の先生の回答から学ぶこともたくさんあった。


授業研究会が始まる前、この授業を一緒に参観した、福岡県のT先生とも意見交換をさせていただいた。こういう少人数での意見交換からも学べることは多い。意外と何十人でする研究会よりも、こういう少人数での研究会も良かったりするような気がした。


参加して良かったなと思う。自分もまたがんばろあという気持ちにもなれた。

728 九道研

今日は、九州地区道徳教育研究大会に参加した。


2年生の公開授業「愛すべきうそ」を参観し、午後には昆虫写真家の栗林慧さんの記念講演「小さな命を見つめて」があったが、どちらも、とても勉強になった。


これから長崎に帰るので、詳しくは、明日からまとめていこうと思う。


f:id:B1113032:20171102223328j:plain

727 今日から11月

午後6時ごろ、ふと窓から外を見ると、夜景がとても綺麗に感じた。急いで屋上に上がって写真を撮った。


f:id:B1113032:20171101210258j:plain


空が真っ暗になった時の夜景も綺麗だと思う。だけど、まだ空に少しだけオレンジ色が残っているこの時間の夜景はもっと綺麗だと思った。


よく、長崎からの夜景は稲佐山鍋冠山から撮ったものが多いんだけど、実家のこの角度からの夜景もなかなか好きだなと思った。


そういえば、今日から11月。1月に新年が始まったなって思って、3月に大学を卒業して、4月から採用試験に向けて春、夏を過ごし、気づいたら10月も終わり、今年も後2ヶ月になった。1年が経つのは早いなと感じる。


来年に向けていろいろ動き出していることもあるし、今年の後2ヶ月の中での楽しみなこともある。後2ヶ月、今年を楽しもうと思う。


それから、明日は、佐世保で九州中学校道徳教育研究大会に参加する。公開授業も楽しみだが、記念公演の講師で、昆虫写真家の栗林慧さんのお話を聞けるのも楽しみである。


雨が少し心配だが、しっかり学んでこようと思う。


726 38冊目『言葉にできるは武器になる』

2017年50冊読破目標の38冊目。


梅田悟司さんの『言葉にできるは武器になる』(日本経済新聞出版社 2016)読破。


1番印象に残ったのは、以下の部分。


(引用開始)

大切なのは、内なる言葉の存在をはっきりと認識し、内なる言葉の語彙力と解像度を上げることである。その上で、外に向かう言葉を鍛える方法を知ることにこそ意味がある。話すべき内容である自分の思いがあるからこそ、言葉は人の心に響いたり、人の気持ちを動かすことができるようになる。どう言うか、どう書くかではなく、自分の気持ちを把握した上で、自分の意見をどう伝えるか、どう書ききるか、でなければならない。

(引用終了)


数日前に書いたように、教員採用試験の面接練習で、自分の思いがグラグラしていることや上手く言葉にできないことを感じ、また、このブログを読んだ友達が、事実や体験の紹介で終わっていて、私がどう感じたのか、どう思ったのか、どう考えたのかなどがあまり書かれていないと言うことを指摘してくれたことがあり、話術などよりも、自分の思いをきちんと整理するように心がけようと思った。


そんな今だからこそ、この部分が印象に残ったんだと思う。


内なる言葉とは、無意識のうちに、頭に浮かぶ感情や、自分自身と会話することで、考えを深めるために用いる言葉である。


外に向かう言葉とは、話す・書く・聞く・入力する言葉など、普段のコミュニケーションで用いる言葉である。


この本を読みながら、自分が伝えたいことがないのに、または、はっきりとしていないのに伝え方だけを鍛えている自分を改めて認識できた。


外に向かう言葉を鍛える時間よりも、内なる言葉を磨く時間を時間を増やしていこうと思う。


「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。