昨日の新聞のお悔やみ欄を見て、中学校の1つ上の先輩が亡くなられていたことがわかりました。
私が通っていた中学校は大きな中学校ではありませんでしたので、部活などで接点がなくても、先輩後輩がお互いの顔と名前ぐらいは知っている学校でした。
この方とも接点は多くはありませんでしたが、生徒会長や部活のキャプテンを務めるなど、活躍されていた方です。
いつ何があるかわかりませんね。
詳しいことはわかりませんが、ご冥福をお祈りしたいと思います。
昨日の新聞のお悔やみ欄を見て、中学校の1つ上の先輩が亡くなられていたことがわかりました。
私が通っていた中学校は大きな中学校ではありませんでしたので、部活などで接点がなくても、先輩後輩がお互いの顔と名前ぐらいは知っている学校でした。
この方とも接点は多くはありませんでしたが、生徒会長や部活のキャプテンを務めるなど、活躍されていた方です。
いつ何があるかわかりませんね。
詳しいことはわかりませんが、ご冥福をお祈りしたいと思います。
社長、部長、課長、係長、校長、店長など、〇〇長と名のつく役職があります。
責任の重さは違えども、人の上に立つ人であることに変わりはないと思います。
私は、この〇〇長と名のつく役職にはむかない人間だなと思いました。
向き不向きだけでなく、他にもいろいろな要素があって、選ばれた人がこの役職に就くのだとおもいますが、どの長にも必要な、人を叱ることが自分は苦手というか、あまりできないなと思います。
もちろん、それは1人の教員としてもダメなことですが、なかなか人に対して叱ることが苦手です。
しかし、叱ってあげないとその人のためにならないですし、周りで真面目にやっている人たちが損をすることになります。嫌な思いをすることになるかもしれません。
だから、きちんと叱ることは大切なことだと思います。ただ、私ができているかでいうと、できていないのです。
ここは、教員になる上で最も改善しないといけないことだと思っています。
塾で集団指導をしながら、おもしろい授業を考えています。
最初は、思考を刺激できる問いが面白いものだと思っていたので、「なぜ?」にあたる部分をどんどん発問していました。
知的な面白さだけが面白いものだと思っていました。
しかし、勉強が苦手な子やその教科が苦手な子にとっては、それだけでは面白い授業になりません。そんなこと、知っていたはずなのに、最近になって感じ始めました。
ただ、面白いから笑う。つまり、快の笑いが必要だということです。
知的な面白さと快の笑いの両方がる授業が、本当の面白い授業だと思います。
快の笑いを起こせるように頑張ってみようと思います。
2018年50冊読破目標の49冊目です。
宿野かほるさんの『ルビンの壺が割れた』(新潮社 2017)読破です。
アルバイト先の後輩が貸してくれた本の中の1冊です。
Facebookでのダイレクトメッセージでのやり取りで話が進んでいきます。
途中から、読むのが面白くなったなという実感はありました。
最後の一文にドキッとはしますが、これで終わりなんだと思ってしまったのも事実です。インターネット上の解説を読んで、そういことかと思いました。私自身のミステリーの読み方が下手なのかもしれません。