祖母が帰天してから葬儀までの全てが終わりました。
ばあちゃんが亡くなったら、自分は泣けるのかな?と薄情なことも考えていました。
実際は棺の中の顔を見るたびに泣いていました。誰もいない会場に1人でいるのは寂しいだろうと思って親族が食事などをしている時間にも何度もばあちゃんの顔を見に行っては泣き、通夜でも葬儀ミサでも泣き、ばあちゃんが病室から霊安室に移動するとき、霊安室から斎事場に移動するときにも泣き、親族控室から通夜会場に移動する時も泣き、その会場で棺の中を飾るときにも泣き、火葬場で炉に入る前の祈り、そして最後のお別れの時にも泣きました。移動する度に一つずつ終わっていくような気がして泣いてしまいました。2日間、本当に泣いたと思います。というよりも、自然と涙が溢れ出てきました。
昨日の通夜、今日の葬儀には平日にもかかわらず、親戚一同、父方の親戚、近所に住む方まで参列していただきました。五島から船で来てくれた親戚もいます。
ばあちゃんは、大好きな人たちに見守られて、そして、ばあちゃんを大好きな人たちに見守られて、送り出してもらえて、とても幸せだったことでしょう。
ばあちゃんの妹が言っていましたが、ばあちゃんはそこまで楽な人生を歩んできたわけではないそうです。生まれは昭和6年ですから、幼少期は太平洋戦争中でした。その後、戦後復旧の中で若い日を過ごして、結婚と出産をしたそうです。でも、最後にこうやってばあちゃんを慕うみんなに囲まれて旅立てたのは幸せだったことでしょう。
認知症が始まっても最初の頃は、私の名前を呼んでくれていました。家族でトランプをして遊ぶなどして笑顔になっていました。多分、ルールなんて分からなかったのでしょうけど、誰かが声を出して笑っていたら、誰かが笑顔になっていたら、ばあちゃんも本当に可愛らしく、そして優しく笑っていました。
怒られることも多かったけど、本当に私と弟のことを好きで可愛がってくれていたんだなと思います。
普段神様なんて信じず、教会のミサにももう何年も行っていないのに、こういう時だけ神様を信じて、お願いしてしまうんです。ばあちゃんが天国に行けて、楽をして暮らせるようにと。
葬儀ミサ中も何年もミサに出ていないのに、賛美歌もカトリックの祈りも覚えているんですね。ばあちゃんのためだと思ったら一生懸命歌えました。賛美歌405番(神ともにいまして)のサビが流れるとダメですね。泣いてしまう。YouTubeで聞くとそうでもないのですが、聖歌隊の人たちが歌うのを聞くと、やっぱり涙が出てきます。
昔聞いた話です。天国に登っていく人は自分のために祈りができないそうです。しかし、祈りが無ければ天国へは上がっていけないそうです。では、誰が祈るのか。それはこの世に残った人たちらしいです。この世に残った人たちの祈りで亡くなった人は天国へ登っていけるそうです。この話が本当かはわかりません。でも、この話は誰から聞いたかは忘れましたが、鮮明に覚えています。
ばあちゃんのためなら今までしていなかった祈りもするようになるはずです。ミサにも授かろうかなと思います。
この2日間、晴天の時間帯が長かったです。なんでもない気象現象なのに、神様が、ばあちゃんが天国に登りやすいようにしてくれたのかなとか考えてしまいました。教会での葬儀ミサが終わって、教会の扉が開くと、大粒のひょうが降っていました。ばあちゃんが最後に泣いているのかなとか考えてしまいました。
最後は亡くなる直前まで肺炎とかで苦しんだ分、そして、人生で大変な思いをたくさんした分、神様がきっと楽をさせてくれるでしょう。生きている間、必ずミサに授かり、家でも朝夕の祈りをし、食前食後の祈りも欠かさなかったのですから、きっと神様が受け入れてくれるでしょう。そして楽をさせてくれるでしょう。
最後にばあちゃんの棺に封をするときに使った帯に書いたメッセージを残しておきたいと思います。
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ばあちゃんへ
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本当にばあちゃんの孫で良かったです。
自分が死んだら天国で会えるのかな。とか、いつもそんなものはないと思っている死後の世界を少しだけ想像します。
長くて短い2日間が終わります。