452 リメイク版道徳の授業

今日は、大学の「道徳教育論」という講義の中で、履修生の2・3年生30名に対して、道徳の授業を行いました。そのほかにも、3年生の後輩1名と、4年生の友達3名が希望して参観してくれました。休みの日、講義がない時間にわざわざ自分の時間を使って参観してくれたことがとてもうれしかったです。

 

資料は、宮澤章二さんの「行為の意味」と、「行為の意味」を使ったACジャパンのCMです。

 

今日行った授業は、去年、研修先の中学校の中学生に対して行った授業をリメイクしたものです。

 

狙いは、「動画の中に出てくる高校生や女性、妊婦さんのそれぞれの行為を基に、それぞれの心の中を考え、相手のことを想う心は行為にすることで、相手に伝わり、その行為の基になる相手の事を想う心も行為と同じように大切であるということに気付かせる。」です。

 

授業をしてみての反省は、深めることができなかったなということです。以前の授業よりは、少しはましになったのかなと思いますが、まだまだ全然だめです。そして、やはり、説教臭さがあったのかなと思いました。Y先生に教えていただいている道徳授業の限界の「ちょっとそのきにさせるだけ」を目指したのですが、んー…どうなんだろうな?と思ってしまいました。

 

授業を受けてくれた履修生の感想をいくつか紹介します。

 

・妊婦さんに席を譲ったり、おばあさんを助けてあげるという親切は、普通、しないといけないことだという常識みたいになっているが、そこに「義務」があるのではなく、「思いやり」がないといけないのだということを改めて感じた。

 

・(資料を通して)なんで人は心を持っているのか考えることができたと思う。

 

・心があるのとないので人の行動がどう変わるかなんて今まで考えたこともなかった。心が成長した大学生だからこそ気づいた部分が新しく増えて、自分の感受性が広がったのでよかった。

 

・心があってこそ、誰かに対して行う行為に初めて、温かさだったり、優しさが出ることが分かった。

 

・心づかいや思いやりとはどのような行為なのか深く考えることができた。

 

・自分が一度は経験したことがあることについて深く考えられたのは、自分の行動がどうだったのか、自分が何を考えていたのかなどを振り返ることができるものだった。

 

・「思い」や「心」は確かに見えないと考えた。けれど「思いやり」や「心づかい」のようにその「思い」や「心」に+αで「やり」や「遣り」がつくように行動がともなえば、人としての優しさ(思いや心)を形にすることができると考えた。

 

そして、参観してくれた3年生と友達からもコメントをもらいました。

 

・発問に対する生徒の回答にもう少し突っ込んでもよかったのではないか。

 

・慣れているなと感じた。

 

・板書をもっと工夫したほうがよい。書き順を間違っている字があった。

 

・展開が読めてしまうと思った。

 

この他にも「先輩のような方が同じ大学の卒業生ということが誇らしいです。頑張ってください。応援しています。」という嬉しいメッセージをくれた後輩もいました。

 

授業を公開しすることで、いろんな人に観てもらえ、感想や批判をいただくことで、私自身の勉強にもなりました。また、3・4年生の批判や感想を聞くことで、履修生にもなにか勉強になるものがあったのではないかと思います。

 

最後に、授業を受けてくれた履修生の評価の平均値です。(5段階評価。5が良い。)

①しっかりと考えられたか・・・4.67

②友達の意見を聴けたか・・・4.7

③自分の考えを深められたか・・・4.43

④心に響いた授業だったか・・・4.33

⑤自分のためになったか・・・4.43

 

③・④・⑤に2の評価をした人が1名ずついました。個人で見るとこの平均値では表されないこともあるなと思いました。

 

また、頑張ります。