132 人格の完成

教育基本法の第1条は教育の目的について定めています。ここでの目的は人格の完成です。


学校で行われることは教育です。教育というと、多くの人は国語や社会などの教科の教育を思い浮かべると思います。もちろん、これも大切な教育です。しかし、教育はこれだけではありません。生徒を人として成長させるための活動の全てを教育というと考えます。


例えば、校則を守ることです。校則は社会でいう憲法や法律にあたります。校則を守ることはルールを守ることです。なぜルールを守る必要があるのかというと、他の人が嫌な思いをしないでいいように、少しだけ自分が我慢をしないといけないからです。こういうことを教えるのも教育の1つです。そして、しっかりとルールを守れるようになった時に人格の1つが完成するのだと考えます。


他にも思いやりのある行動をとることもそうだと思います。自分のことばかり考えて行動すると、周りが見えなくなり、嫌な思いをしている人に気づかないことがあります。人に嫌な思いをさせないためには自分が少しだけ我慢をしなければなりません。この少しの我慢がきちんとできるようになった時も人格が完成するのだと考えます。


つまり、人格の完成とは、自分以外の人のことや社会の事を考えて行動できることだと考えます。もちろんこのためには自分のことを我慢しなければなりません。でも、その結果は社会をよくし、他の人を笑顔にします。自分のことも大切ですが、社会や他の人のことを考えれるようになることが大切です。


教師はこのように生徒を指導しなくてはならないのです。細かいことを言えばもっとありますが、ここではこれくらいにとめておきます。


このような教育を行うために教師がいるのです。もし、教師がいなくなったら、子どもたちにこのようなことを誰が教えるのでしょうか。両親が共働きの家庭も増えています。家庭での教育が十分に行える環境にない以上、教師が存在する意味がここにあると考えます。

塾の先生ではこれは無理です。塾の先生に教われば成績もテストの点数も上がるでしょう。しかし、点数を取ることよりも、人間として成長し、人格を完成させていくことが、教育に求められていることであり、学校に求められるものであり、教師に求められていることです。教師はこの自覚が必要です。