本を読む意味

10月の終わりに2015年の最後の目標の10冊読破計画を立てました。1年で100冊を読破する目標を立てられている研修先の先生に紹介してもらった本がきっかけです(後述)。今7冊読破してます。ジャンルを問わず読んでいますが、心理テストの本を1冊読んだだけであとは教師などにが身につけるべき授業技術や指導方法などに関連した本です。

 

10冊という冊数目標は達成できそうだから定めました。達成できそうにない目標冊数を立てると、途中で「どーせ無理だろう」といって諦めてしまうと思ったので、あえてこの目標冊数にしました。

ジャンルを問わない理由は、生徒の興味が生徒それぞれで違うからです。歴史が好きな子もいれば、科学に興味を持つ子もいます。サッカー部の子に対してはサッカー選手が書いた本を読んでおけば、その生徒が知らない知識を得られるかもしれません。そんなことを知っている先生は少しだけ他の先生よりも魅力的に見えるでしょう。

生徒と良好な関係を作るうえで会話は欠かせません。話す生徒によって会話を変えられるように自分の中に引き出しをたくさん持っておくことは必要だと思います。私が今、本を読む理由の一つにはこのようなことがあります。

 

教師が本を読まないといけない理由はもう一つあります。

林純次さんが書かれた『残念な教員』(光文社 2015)からその理由を引用します。

<引用開始>

月に本を2冊も読まない教員が全体の8割である。その8割の教員は今すぐ教員免許を破り捨てるべきである。なぜなら、我々教育者は学び続けることを課せられた職業人だからである。

佐藤学学習院大学教授は『教師花伝書』の中で「西洋登用を問わず、古来、教えるという不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教壇に立つことを許された」と記してある。

<引用終わり>

 

教師として成長するためには学ばないといけないことを示してあると思います。

本以外にも学べる素材は私たちの身の回りに転がっています。様々なものに触れ、少しでも多くの経験をすることも大切なのかなと思います。

林さんの本に興味が出たら読んでみてください。 

残念な教員?学校教育の失敗学? (光文社新書)

残念な教員?学校教育の失敗学? (光文社新書)