1896 学年末試験終わる

勤務校で学年末試験がありました。


生徒の点数自体は良くも悪くもなくという感じですが、得点率を各観点別に見て行った時に、得点率がほとんど同じでした。


これまでのテスト結果では、知識の部分の得点が高く、社会的思考や資料活用の技能などの得点率は本当に低かったです。ですから、嬉しい変化でした。


もちろん、テストの点数自体が上がることが生徒にとっては嬉しいことだとは思いますが、この変化は伝えてあげたいと思います。



この1年間の変化として、生徒たちは諦めずに考える力がついたと思います。少し難しいかなと私が思うことにもなんらかの答えを出してきました。出会った頃はすぐにわかりませんと言っていましたが、それがなくなりました。これだけでも良い変化です。


もうテストはありませんが、最後まで残り10時間ほど、生徒のためにできることを続けていこうと思います。


1895 道徳科の授業を完成させる

明日、実践する道徳科の授業を完成させました。


これまで何度も書きましたが、難しい教科書教材です。使いたくないほど使いにくいです。


しかし、学習指導要領解説の指導の要点などを読むと、それをそのままうまく教材化している読み物教材だということもわかりました。


授業は、「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」の内容項目を扱います。


我が国の伝統と文化を尊重するとは、どういうことでしょうか。そもそも我が国の伝統とはなんでしょうか、文化とは何でしょうか。どうして尊重しないといけないのでしょうか。


内容項目だけを見ていても、いろいろ疑問が浮かびます。今の自分は、この疑問に自分の答えを出すことができません。ですから、授業自体が本当に締まりのないものになっています。それでも、なんとか授業の形にできました。


伝統と文化に対して、興味や関心を持つことが大切で、それらに触れる機会が会った時に、全く興味を示さず、素通りしないことが大切だと思います。この考えがかろうじて自分の中に生まれたので、形になったんだと思います。


ちゃんと形になってよかったと思うのと同時に、この授業では本当はダメなんだろうけどなと思う気持ちがあります。


さまざまな人やものに触れて、そして興味や関心を持って体験するということの大切さを感じます。観を磨くと、教材の捉え方が変わりますし、観に基づいた授業の芯ができます。


しかし、できないからと言って、それから自分を遠ざけるのではなく、やらないといけないと状況に追い込むと、今回のように良い修業になります。


あまり自信は持てない授業ですが、明日の実践は楽しみです。

1894 テストづくり

昨日つくった学年末試験の問題を見直し、ごしの訂正などを行いました。


ペーパーテストで評価できるのはどんなことでしょうか。


各観点項目のうち、どうしても知識を問う問題が多くなってしまう傾向にあります。


今回は社会的思考や資料活用の技能を評価できる問題をこれまでよりも多く取り入れました。


もちろん、授業中にやったことからの出題です。


ペーパーテストだけで各観点の項目を評価をすることの難しさを感じます。普段から評価材料を集める必要があるように思います。


そのためには、社会的思考や資料活用などを授業の中に意図的に仕組んでいかなければなりません。


そう考えると、授業が少し変わります。


評価って難しいですね。やってみて、全然自分の中に評価に対する知識がないことを実感しました。


1893 休みになった

島の学校の勤務が強風・高波のため休みになりました。


昨日の段階で、明日は船が出ないだろうなと思っていたのですが、やはり出なかったです。


ということで、以下の3つを行いました。

①花粉症の薬をもらいに病院へ行く 

②来週火曜日の学年末試験をつくった

③来週火曜日の道徳科の授業のPowerPointつくり


病院に行ったついでに、町でランチでも食べたかったのですが、②③をやらないといけなかったとので、今回はそのまま帰りました。


本当は美術館とか映画とか行きたかったのですが、今回は我慢です。


②も③もできたので、もう一度見直して、完成としたいと思います。

1892 花粉症の季節になった

日中がものすごか暖かい日でした。


コートなしでも町を歩ける一方で、鼻がムズムズし、目が痒かったです。あぁ、花粉症の季節になったんだなとちょっと憂鬱になりました。


病院で早めに薬をもらいたいのですが、あいにく今日は祝日でお休みということで、明日行こうと思います。


数年前までは全然なんともなかったものですが、発症してからは毎年苦しめられています。


花粉症じゃない人が羨ましいです。

1891 社会科の授業指導

6時間目に授業を参観していただきました。
参観者は勤務校の校長先生、A教頭先生、近隣校のB教頭先生です。コロナ禍ということで、B教頭先生はズームを使ってのご参観でした。

授業自体はいつもどおり進められましたが、少し緊張して、予定していた活動を2つ飛ばしてしまいました。1つ目はそこまで問題はなかったのですが、2つ目はその活動の次に続く発問を考えるときのヒントになるものだったので、「しまった、、、」と、思っていました。それでも、生徒が質問をしてくれて、それでなんとかなりました。この質問に救われたなという感じです。

授業後は、教頭先生からご指導をいただきました。

指導内容は下記の3点です。
①板書の文字を練習すること
②生徒から出た意見を板書していたが、その中で何がキーワードなのかを色で強調したり、先生がまとめたりすると良かった。
③めあてとまとめは必ず書かないといけない。

内容などは教科が違うので、来週、B教頭先生から指導を受けてほしいとのことでした。

①は、やらないといけないと思いながらもやっていませんでした。本当に心を入れ替えてやらないといけません。
②は、とても納得しました。なるほどなと思いました。次回から取り入れようと思います。
③については、私の考えも伝えましたが、委員会などからは絶対言われるよと教えてもらいました。

校長先生には放課後バタバタされていたので、お話を聞けませんでしたが、次回声をかけてご指導をお願いしようと思います。

1890 指導略案指導②

出勤後、教頭先生に明日の社会科の指導略案の指導をしていただきました。


大きくは以下の5点です。

①めあてとまとめを略案の指導過程の中に書くこと。

②指導過程は、それを見たら、子どもたちが何をするかわかるように書くこと。

③指導過程をもっとまとめて、簡潔に書く。

④題材名・ねらい・指導過程のみ書く。

⑤評価の観点を書き入れる。


その後、校長先生に指導をしていただきました。


大きくは下記の3点です。

①ゴールイメージを持つこと

②中心(ゴール)を考えてから導入を考えること

③1つ活動であれもこれも評価しようとしないこと。


指導を受けた後、略案の文章が読みやすくなりよかったです。校長先生の指導の中では、自分の中で明確になっていなかったこと、例えば、この活動でどうやって社会的思考を評価するのか?などについて考えさせられました。甘かった部分を指摘してくださったことに感謝です。


しかし、指導を受けて困ったこともありました。


それは次の2点です。

①お2人が言うことが違うこと。

→教頭先生から指導を受けて書き直した指導案を校長先生に持っていき、指導を受けました。それが教頭先生が直すように言われた部分だったのです。ある程度の部分でどの先生も共通の認識を持っているのでしょうが、書き方などは個人によって違うのではないのかと思いました。指導してくださる方が変われば、同じ部分についても、指導は変わると思います。


②ねらいの語尾を変えられたこと。

→例えば、〇〇を知るとしていたところを、〇〇を考えるとされました。知ると考えるでは授業の中での学習活動などが変わります。1つ変えることで、全体笑変える必要がある時もあります。


結論ですが、指導案って必要なのでしょうか?そんな疑問が生まれました。もし、絶対に必要なものなら、毎時間書くべきだと思います。しかし、研究授業などの機会にしか書いていないのが現実だと思います。


正直、今の私の認識では、指導案がこの世から無くなっても困りはしません。授業に大きな影響はないと思います。よく、思考の整理や参観用のツールとしての機能などが必要性の理由として挙げられますが、それらは他のものでも代替できます。


「指導案の必要性」ちょっと考えたい問いです。


別に絶対書きたくないとかそういうことではありませんが、指導案を書くことと、指導案検討などに時間をかけることに、今の私の認識では価値を感じられないということです。


今後、様々な人の考え方や経験をしていくことで、この考えは変わるかもしれませんが。