435 自分にとって友達と付き合うということ

一昨日ぐらいだったと思うが、道徳に使えるものは無いかと大学の図書館で新聞を読んでいた。その中で、ある新聞に掲載されてあった写真の記事が目にとまった。


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この記事を書いたのは中学生の子であるが、私もこの子と同じ目的で同じやり方で、日々「一人反省会」を行っている。


小学生の1年生ぐらいだったと思うが、友達とのある出来事から、友達と付き合うのが苦手になった。というか、この出来事で恐怖が生まれた。そして、いつからか友達と遊ぶということをしてこなかった。だから、親は友達と遊びに行くというと、とても喜んで送り出してくれた。友達と遊ぶことが少ない私のことを心配していたのだろうと思う。


今、実家に帰省しても誰に、遊びに行こうと言えば良いのだろうか?と思ってしまう。SNSなどでの交流はあるが、例えば私が書いたFacebookの記事への『いいね』だけで繋がっていると言えるのだろうか?と疑問に思ってしまう。


小学生の時の体験から、私は友達と付き合うことに少し恐怖を感じることがある。だいぶこの恐怖もなくなってきたが、ゼロにはなっていない。この記事を書いた中学生と同じような恐怖である。


友達と遊んできた時間が少ないから、友達との距離の取り方もイマイチつかめないところがある。冗談やノリもつかめないことがある。無理に冗談を言うとそれが少しその場の雰囲気とズレていることもある。


だから、ほぼ毎日、夜に一人反省会をするのである。この内容も新聞記事にある中学生の子の記事と同じ内容である。わたしはネガティブになることはだいぶ減った。次からは注意しなければなと思うようにしている。なるべくネガティブにならないようにしていると言ってもいいかもしれない。


だから、この子のお母さんが言っている「対策を考えなさい」という言葉が本当にその通りだなと思うのである。


これから、少しずつこの『一人反省会』を開く頻度を減らしていけたらいいなと思う。ゼロにはならなくていい。というか、ゼロはダメだと思う。


最後に、大学で出会って、いつも遊びに誘ってくれたり、講義を一緒に受けたりしてくれる友達がいる。彼らのおかげで少しずつこの恐怖がなくなっていっていると感じる。おそらく、彼らのノリに乗れていないところもあるのだろうけれど、一緒にいて安心できるのである。彼らと出会えて良かったと感じる。