思考を刺激する発問

今日は、研修先の中学校で歴史の授業をさせていただきました。学級は1年生のあるクラスでした。授業内容は「戦国の世に現れた南蛮人‣鉄砲とキリスト教の伝来」(教育出版の教科書 P.88~89)でした。

 

開始後すぐの導入で、「戦国の世ってどこの国のことを言っている?」と発問しました。私は、これを生徒はすぐに「日本」と答えると考えていました。今日までの授業で「戦国」という単語が出てきていたからです。何が生徒の答えを日本から遠ざけたのかがまだわからないのですが、「世」とついたことか、「南蛮人」という単語が一緒にタイトルの中に並んでいたからなのかなとは思います。どちらにしろ、最初からアドリブ対応を迫られる苦しい展開でした。しかし、ここは何とか乗り越えました。

 

さて、展開の中で戦国大名たちが鉄砲を欲しがる理由を聞く予定でしたが、私が話してしまったので、板書もその場で変えなければいけませんでした。

 

あとは、板書が全体的に右によってしまい、最後の板書がギリギリ入ったというような感じになってしまったことが、授業をやっていてダメだったなと感じることでした。

 

あとは、終盤で5名ぐらいの生徒が飽きているなと感じたところです。

 

前回の反省点を生かせたところもある一方でこれらのような反省点も生まれました。

 

授業後のY先生からのコメントの1つ目が「生徒がうーんと考えるような時間がなかった」というものでした。授業のテンポも大切ですが、生徒が「なんだろうと?」考える発問が必要なのです。このような発問は愛知教育大学教授の鈴木健二先生のお言葉を借りれば、思考を刺激する発問といいます。これがなかったのは、私の教科書研究が不足していたからという理由と、知識を得ても、得る段階で終わっているという理由からだと考えます。得た知識を多角的にみるといろんな方向からその知識にアプローチできますが、今回は得るだけで終わっていたと思います。教科書の流れと生徒の実態に合わせて、得た知識を使って、思考を刺激する発問を作らないといけなかったと思います。ここは次に生かしたいと思います。

 

実際にY先生の授業では、思考を刺激する発問が1つ以上授業の中にあります。Y先生のすごいところの一つは、答えがなんとなくわかりそうなのだけれども、きちんと考えないとわからず、表現できないラインを攻めているところです。Y先生にこのようなお考えがあるかはわかりませんが、私はY先生の参観させていただきながら、このように感じることが多いです。だからこそ、「正解」と言われたときに、生徒の中に「やったー」という達成感が生まれるのだと思います。こうなれば、考えることが少し楽しくなりますよね。

 

さて、今日の私の授業が終わった後に、ある生徒が「お疲れ様でした」と声をかけてくれました。やさしい生徒ですね。生徒から「お疲れ様でした」と言われるのは何か「うーん…」と考えてしまうところがありますが、生徒の優しさに心が温かくなりました。ありがとう。また、次に向けて頑張れそうです。