発問のない道徳

昨日の道徳授業改革セミナーin熊本の第5講座の中で、野口芳宏先生が模擬授業をされました。


その一言目で野口先生は、「発問のない道徳をします」と言われました。

どんな道徳になるのか、そんなことができるのか、その授業にとっても興味を持ちました。


内容は第二次世界大戦の後にマッカーサー元帥の元を訪れた昭和天皇の話でした。昭和天皇マッカーサー元帥にこの戦争のすべての責任は私にある。私はどうなっても構わないが、私以外に責任はない。国民は飢えている。どうかあなたの国のお力で国民を救ってほしい。と、言われて、皇室の財産をお渡しになったそうです。敗戦国のリーダーは処刑されるのが当たり前で、この大戦でもアメリカ本国からマッカーサー元帥への指令は例外ではなかったそうです。しかし、マッカーサー元帥は昭和天皇の言葉にこんな王はいないと思い、東京裁判にも出廷させなかったそうです。

憲法の第1条に天皇は日本国と、日本国民統合の象徴であると書かれています。象徴を優しくいいかえると、お手本がいい。と野口先生は言われました。

日本の若者は国を愛する気持ちがあまりないそうです。

と、このような授業をされました。


発問がないということは教師の話だけで授業が進みます。50分でも、教師の話し方の技術があれば、子どもたちは集中して授業を受けれるそうです。


こんなこと、本当にできるんでしょうか。私は今の技術では到底無理です。しかし、野口先生にはできるんだと思います。抑揚のつけ方、間、話すスピードの緩急、そして、野口先生が前にお立ちになった時のその場の空気。これらが生徒を引きつけているのだと思いました。