「わからない」の感覚を実感する

2週間前から月曜日に私が主管している勉強会に加えて、大学の西洋経済史の先生が主催されている勉強会に参加しています。

内容は世界史を扱ったものであり、世界史教育法などについても触れています。2コマあって、1コマ目はテキストを区切って担当者を決め授業をする時間で、2コマ目は学生同士が教育法などについて海外の教科書から教育法を学ぶというようなことをやっています。

参加者は先生と同期の学生5~10名(週によって変わる)程度です。

 

さて、1コマ目の勉強会について思う事を書きます。

私は日本史の教科書に出てくる程度でしか世界史を勉強したことがないため、世界史に出てくるカタカナが地名か人か、制度なのかまったくわかりません。オドアケルとかキビタス、キルクスなど正直、友達の授業を聞いていてもわかりません。50分の授業についていくだけで必死です。集中を1秒でもきると何を話しているのか一瞬でわからなくなります。

この勉強会ほど世界史ですが歴史で「わからない」を体験したことはありません。数学とかは苦手だったので、いつもわかりませんでしたが、社会科のそれも歴史の授業の中で何を説明しているのか「わからない」と思ったのは初めてです。

 

しかし、この勉強会に参加してよかったと思います。世界史の知識が得られる以外に、社会科が苦手な生徒や授業を聞いてもわからないという生徒の気持ちが今までとは違って実感を伴って理解できるようになったからです。どうしたら、わかりやすく伝えられることができるのか、限られた時間の中での説明を補助してくれるより効果的な教科書の文や資料などはどれなのか、何をどこまで話せばいいのか、教科書の言葉をもっとわかりやすい表現で表せれないかなど様々なことを考えて授業を構成する必要性を改めて実感させられています。その中で工夫できるところもわかってきました。私と同じように世界史を初めて勉強する人に対する工夫です。例えば板書時に人の名前は赤で書き、地名は黄色で書くという約束をしておけば、同じカタカナでも人の名前なのか地名なのかが誰にでもわかります。一例ですが「わからない」人の気持ちが「わかる」からこそ考え出せた工夫です。この感覚や視点を忘れず、大切にしていきたいと思っています。

 

世界史の知識に加えて、教材研究に時間をかける大切さ、効果的な発問や板書などの指導技術の大切さを改めて教えてくれる勉強会です。1円の得にもならないのにこの勉強会を主催していただいている先生と、この勉強会に誘ってくれた友達に感謝します。

 

また1歩教師に向けて前進できたのかなと思う今日の勉強会でした。

2コマ目についてはま来週にでも書きます。