530 細かな配慮

今日の長崎新聞の記事です。写真にある中学生が書いた投稿を読みました。


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文末にある『細やかな配慮が大切だと思う』ということを生徒である中学生が言っているところに感じるものがありました。


大学生時代に特別支援学校へ実習に行った時に、実習校の先生が大学生全員の前で次のような話をしました。


(始まり)

友達100人つくりたいという歌があります。

『1年生になったら、友達100人できるかな。100人で食べたいな。富士山の上でおにぎりを。』

この歌のおかしなところがわかりますか?

例えば、Aさんが100人の友達をつくったならば、富士山の上でおにぎりを食べるのはAさんを入れて101人でないといけないはずです。誰か1人が忘れられているんです。多くの場合、その忘れられている誰かとは特別支援を要する子です。

★その1人を忘れないようにしてください。その1人が教室にいたら、100人の中に入れて、101人にしてあげてください。

(終わり)


3年前に聞いた話しですので、どんな状況で聞いたかは忘れてしまいましたし、★以降の文章は多分こんな話をしていたというあやふやな記憶ですが。


学校で関わる子ども達の数はとても多いです。担任だったら自分のクラスだけで40名、小規模校や中規模校で教科担任が1人だけだったらその学校の子全て。


こんな現場に自分が出た時に、初任から細やかな配慮ができるでしょうか。意識していても、もしかしたら十分にできないかもしれません。


しかし、できないかもしれないけれど、意識して1人ひとりを見ようとしなければいけないと思います。


細やかな配慮をしたかしなかったかは配慮される相手や周りの人が判断することだと思いました。


自分自身は、できたかできなかったかではなく、できる限りのことをしようとしたか、見えないところをなんとか見ようとしたかを問うことで、謙虚に1人ひとりを見ようとする姿勢を持つことが大切だと思いました。

529 日本語

専門学校で一般教養試験対策として国語の講座を受けました。

内容は、敬語や同音異義語、慣用句、四字熟語、ことわざなどでした。

中学校で習うほどの基礎的なものを中心とした講座でした。しかし、知らないものやわからないものもありました。

もちろん、敬語以外は普段の会話の中では使うことがほとんどありませんので、忘れていたり、知らなくても特に困りはしないと思います。

しかし、3月までの中学校研修では、社会科の担当だと言っていても、生徒からは他教科の質問も飛んできました。

特に、漢字の質問と英語の質問はいつでもどこででも飛んできましたので、学校現場に出るまでにはある程度のことは知っておかなければいけないと思いました。

さて、講座の中でも特に敬語について考えることがありました。

私が普段使っている敬語は正しいのだろうか?と思いました。しかし、正しいかを判断できるだけの正確な知識がありません。

大学も卒業して社会人になっています。社会人なのに間違った敬語を使い続けないように、勉強しなければいけないと思いました。

また、正しい文章の書き方、言葉遣いなど、考えてみれば、私が書く文章や、発する言葉は本当正しいのだろうか?と思うことがあります。

日本にいる限り、目から入ってくる文字や耳から入ってくる言葉のほとんどは日本語です。そのため、日本語の多くは、産まれてから特に勉強しなくても自然と身につかのではないかと思います。しかし、だからこそきちんと勉強しないと、当たり前のように使っている日本語を間違っているのではないか?と疑うこともなく、そのまま使い続けてしまうかもしれません。

敬語だけでなく、日本語の言葉や文字をもっと大切にしたいと思います。

528 野口先生の日めくりカレンダー

今日は朝から高校生の剣道の試合を見に行きました。久しぶりの観戦でした。


試合会場に着いた時には残念ながら母校の後輩たちの試合は終わってしまっていました。


勉強ばかりで体が鈍らないように、これから時間を見つけて、稽古に顔を出したいと思います。


さて、注文していた野口芳宏先生の日めくりカレンダーが今日届きました。有田和正先生の日めくりカレンダーと一緒にこれから毎日めくるのが楽しみです。


明日からまた新しい一週間が始まります。

今日は早めに寝て明日からまたら頑張りたいと思います。


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527 18冊目『偽善のすすめ』

2017年50冊読破目標の18冊目です。

パオロ・マッツァリーノさんの『偽善のすすめ』(河出書房新社 2014)読破です。

偽善というと悪いイメージを持つ人が多いと思います。

私もそうでした。

しかし、「しない善より、する偽善」と考えると、偽善が絶対悪いとは言えません。

これを以下の例で説明します。

全ての席に誰かが座っているバスにお年寄りが乗ってきました。

このような状況に出くわした時、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんは以下のような対応を取ります。

Aさん
お年寄りをみて、立っとくのはきついだろうからと、心からお年寄りのことを思い、席を譲った。

Bさん
本当は譲りたくないけど、譲った方が周りからよくみられるという計算をして席を譲った。

Cさん
お年寄りが立っとくのはきついだろうなと思ったけど、声をかけきれずに席を譲らなかった。

Dさん
席を譲るのがめんどくさいと思い、寝ているふりをした。

みなさんなら、どの人と同じ行動をしますか?
また、どの人の対応を素晴らしいと思いますか?

この本では偽善に注目しています。4人の中で偽善的な対応をしたのはBさんです。心の中は違いますが、同じく席を譲るという対応をしたAさんと比べると、Aさんの行いの方が素晴らしいと感じませんか?

しかし、それは、この4人の心の中を文字化してわかるようにしているからです。

人の善行の真意は見た目だけではわからないのです。Bさんでも、どんな気持ちで席を譲りましたか?と聞かれれば、お年寄りのためを思って!と答えるでしょう。

人によくみられたいと計算して席を譲る人ですから、当然答えもそうなります。

つまり、真意は本人にしかわからないのです。

それに、お年寄りにしてみれば、どんな気持ちであっても席を譲ってくれたAさんとBさんの行いは善行に見えるでしょう。

どんな気持ちで席を譲ってくれたにしろお年寄りは座ることができたのですから。

Cさんが思っていることも善意的です。しかし、Cさんは席を譲っていませんから、お年寄りは立ったままです。座れていません。

ということは、心の中は見えないのだから、お年寄りにはCさんに対してもDさんに対しても同じバスに乗っていた人としか思われないのです。というよりも、あ、一緒のバスに乗ってたの?というぐらいの認識のはずです。

BさんとCさんに注目します。2人は席を譲った偽善者と、譲らなかった善意ある人です。Cさんの方が内面は立派ですよね?しかし、内面が立派でも、お年寄りのためにはなっていません。つまり、行動が伴っていないということです。

長くなりましたが、BさんとCさんの例が「しない善より、する偽善」の例えです。

このようにいうと、気持ちなんていらないから行動しろと言っているように思われそうですが、偽善ばっかりの人も、行為を行っているなら、その人の中に善意のかけら以上のものがあるのです。

そのかけらすらない人は偽善すら行わないのです。

表紙には10代からの倫理学講座とありました。倫理学の講座でしかも、10代に偽善を進めています。

なるほどなと思えるのですが、10代にそのまま読ませるのはちょっとな。内容をしっかり吟味しながら読める人が読んだ方がいいかもしれないなとも思いました。

私がそれができているかはわかりませんが。

526 アクティブラーニングにどのように取り組むか?

今日は専門学校で教師力向上セミナーという講座がありました。


この講座では主に2次試験の論作文や面接対策を行います。


1時間半座ってずっと話を聞くだけではなく、与えられたテーマに従って自分が考えたことをグループを作ってシェアします。そして、その後、論文を書きます。


今日のテーマは『アクティブラーニングにどのように取り組むか?』でした。


私の答えを一言で言うと、『生徒に能動的に学ぶ姿勢をつくらせる』です。


アクティブラーニングの基礎が能動的な学びだと考えました。


能動的になっていない生徒が、主体的に学ぶことはないと思います。主体的に学んでいない者どおしが、例えばグループワークのような対話的な方法で考えや意見をシェアしても、終わった後に深まりがないと考えました。また、対話的な学びを実現する方法をとっても、能動的ではないため、他人の意見から何かを学ぼうとはしないのではないのかなと思いました。


このようなことから、まずは生徒が能動的に学ぶ姿勢を作れるようにしなければいけないと考えました。


論文には、ざっくり言うと次のようなことを書きました。

主体的な学びは個人で行うものだと考えます。そして、それを集団でシェアすることで新たな視点や、自分の考えの弱いところ、浅いところを知ることができると思います。それを受けて、個人でもう一度自分の考えを見直し、再構成したり、補強したり、得られた新たな視点を整理して取り入れることで深まるのだと思います。


つまり、アクティブラーニングの手法として提示されているグループワークなどは、個人を鍛える集団活動であるべきだと言うことです。


それには、そのグループを構成する一人一人が能動的に学ぶ姿勢ができていなければいけません。よって、まずは能動的に学ぶ姿勢をつくることが必要だと考えました。


今日、言われて今日考えたことですが、今話題のテーマですから、もっと知って考えておかなければいけないなと思いました。



525 他律的自律

他律的自律とは野口芳宏先生のお言葉です。


他律と自律は対義語ですが、他律によって自らを律しようという自律の一つの方法です。


特に私はそうですが、意志が弱いです。1度決めたことも長く続かなかったり、その日の気分でやったりやらなかったりします。


自分で自分を律することが望ましいのですが、なかなか簡単にはいかないことが多いです。何かを続けようと思っても、なかなか続けられないものです。


そんな私は、周りの人の支えや助けによって自らを律するようにしています。


このブログもそうです。毎日書きますと宣言して、さらにTwitterFacebookで毎日更新したことを知らせるという制限を課します。宣言とSNSによる更新通知によって他律をかけます。


特に最近はネタがなくて何を書こうかなと悩んでしまいますが、決めたルールなので書かなければいけません。もし、この他律がなければ、今日はめんどくさいから書かなくていいやと思ってしまいます。逆に今日はやる気が出てるから10回更新しようと思って、実際にしてしまうこともあるでしょう。


そうなると不安定な更新になってしまいます。


他律を受けているからこそ、安定した更新が続けられているのです。

524 春を感じる暖かさ

今日は、久々に晴れの日でした。


昨日まで雨が降っており、寒い日が続いていましたが、今日は春を感じる暖かさでした。


朝は少し寒いかな?と思いましたが、昼休みにオフィス街にある学校の外に出てみると、‪心地よい爽やかな春の風が肌を撫でて通り過ぎて行くのを感じました。‬とても気持ちよかったです。


桜を見上げると、昨日までの雨で少し散っていましたが雲ひとつない青空に映えて綺麗でした。


どんどん暖かくなるにつれて、採用試験も近づいているなと感じます。


今日は1時間半×4コマで6時間講座。なかなか疲れました。しかし、やらないといけないこと。


来年の桜はどこかの学校で見られるように、頑張りたいと思います。